元気に幻覚を見ている人

サリシノハラとコーヒー・スピカータ!


 2022年4月30日。
 推しが、月に、帰った(設定)

 あの日、ねもちゃんが1人でステージに現れて、幕が下りるまでずっと泣いててどう言う気持ちだったかと言われるとあんまり覚えてないんですが、1年経ったので記憶を掘り起こしてみる。
 一生自語りが続くので、ねもちゃんのお祝いタグからたどり着いたオタク人(オタクんちゅ)は早々に立ち去るが吉。
 読んでくれる人がいたら、少しだけお付き合い下さい。


 
「新しいトビラの前で独りで寂しくないかな」

 ねもちゃんのラスト公演が終わってから一番最初にぽんと浮かんできたのがみきとPのサリシノハラだった。
 虹コンからもでんぱからも卒業したねもちゃんが、次のステージに進むためのあのラスト公演を見て私が最初に思ったことは、ひとりで寂しくないかな、だった。
 この曲が熱狂的なファンの心情を描いたものだと私は解釈していて(色んな解釈があるのでその中の一つとしてほしい)(解釈ってオタクの数だけあんねん)アイドルのオタクならリアコじゃなくても1回はこういう気持ちになったりするもんだと思ってて、たまたまねもちゃんのラスト公演の時にうまくハマって抜け出せなかったのもあると思う。
 あと「ネコミミ付けてた君の、フリルのエプロンドレス」の歌詞、ねもちゃんじゃ〜んって爆泣きしたもんね。

  いろんな重圧から開放されて、それでも歌う場所を守りたくて姿を変えたねもちゃんを、あろうことか受け入れるのにだいぶ時間がかかった。
 3次元の根本凪に惚れ込んだ私は、配信を1から100まで見て理解もしたはずなのに、どうしても感情がついて行かなかった。
 あと、Vのねもちゃんが「1人のキャラクター」になってしまったような気がして、それが一番引っかかってしまってなかなか先に進めないで、うじうじと3次元のねもちゃんを恋しく思うようになってしまって、でも周りの人にどう折り合いを付けていいかみたいな相談もできず、今みたいにオタクのTwitter垢も無かったからただただ自分だけ取り残されて腐ってゾンビになるような感覚がしてキツかったな、というのは今でも覚えてる。
 手放しで転生おめでとう!これからも頑張ってね!応援してるよ!みたいな気持ちに切り替えて行ける人すげーなまじでって尊敬してた。(煽りではない)

 そんな時に、なんかの配信企画(質問系だったかな?)でマシュマロが設置されたあと、ねもちゃんがnoteを更新した。
 そのnoteで私みたいな3次元の根本凪を恋しく思うが故にゾンビになり、そのお気持ちマロをねもちゃんに投げかける根本凪ゾンビ(失礼)の姿がピックアップされてた。
 そこでようやく、私は私以外にも3次元の根本凪ゾンビ(失礼)が居ることを知ってフツーに泣いた。
 その人のマロを読んで、赤べこのように頷いた。
 ねもちゃんのパワフルかつかわいくてかっこよくて芯のある歌声も、ダンスの時の筋肉の感じとか、視線の動かし方とか、ターンした時に髪がひろがって顔にかかる感じとか恋しく思ってしまって、どうしようもなくて、でんぱと虹コンのMVライブ映像を行ったり来たりしてた私はにはそのマシュマロがめちゃくちゃ刺さった。マシュマロなのに。
 ゾンビの人のこと、何にも知らんけど本人に直接伝えたくなるくらい思い悩んでどうしようもなくなっちゃったんだろうなと思うと、なんちゅうお気持ちマロ送っとんねんと怒ることも出来なかった。

 その日のnoteでねもちゃんは今、この姿になって生きやすいよ、と。3次元にも、2次元にも根本凪はちゃんといるよと綴っていて私は大泣きしながら何回も何回もそのnoteを読み返した。

 3次元にも、2次元にも、根本凪は存在している。

 いや、そりゃそうなんだけど。
 どのVの者にもいわゆる中の人はいる訳だし、画面の向こうにいるのは人間だというのは分かりきってるのに、本人がそうやって言うまで私はその考えに思い至らなかった。(恥ずかし)
 本当にめちゃくちゃ視野がせまくなってたんだなって今、すごく実感してる。
 私はねもちゃんが活休に入ってから、ねもちゃんが心穏やかに過ごせる日が一日でも多くあればいいと思ってたはずなのに、なんで受け入れることが出来ないんだろう、姿は違えど根本凪根本凪なのにって思ってゾンビになってたから、今すごく生きやすいというねもちゃんを見て、すごくすごく腑に落ちた。
 二進も三進もいかなかった感情がようやく1歩前に踏み出せたような感覚だった。めちゃくちゃ時間が掛かってしまったけど。
 
 ねもちゃんは今、水を得た魚なんだなとようやく思うことが出来たよ。

 この時のねもちゃんのゾンビ仲間(勝手に仲間呼ばわりするな)が、今どうしてるとか私には分からないし、もしかしたら他界してる可能性もあるけど、1年経った今、少しでも楽に生きてくれてたらいいなって思ってます。
 私は、あなたが勇気をだしてあのマシュマロを投げかけてくれて、ゾンビになってるのが私だけじゃないと思って、安心……というか他にも同じように悩んでる人がいる事が知れて良かったと思ってます。
元気でいてください。心も体も。
 
 それからしばらく経って、ねもちゃんのオリジナルEPが発売された。
 その中の1曲、コーヒー・スピカータ!という曲がはじめて披露された時、なんかはじめてでんぱ組の「Dear☆Stageへようこそ」を聞いた時の感情が蘇ってきた。
 ゾンビみたいに生きてた田中が、でんぱ組に出会ってこれから世界がはじまるんだね、って世界の始まりを知る、あの感覚。
 私もでんぱを知ってからドルオタとして産声をあげたクチなのでコーヒー・スピカータ!を聞いた時、この曲を聞いて居場所を見つけて前を向ける人が居るかもしれないんだなと思うとすごく嬉しかった。
 なにより、ねもちゃんが「ここは君と私の居場所」って歌ってくれることが本当に嬉しくてしょうが無かった。
 ラスト公演のあの日、私の頭の中に流れた曲は新しいトビラの前に立って次に進む推しのことを心配するような歌詞(個人的解釈)だったけど、ねもちゃん本人がその扉を開けた先で居場所を見つけて、生きやすいと思ってくれているんだって思ったらなんか胸がいっぱいになっちゃった。
 それに加えて、コーヒー・スピカータ!にはねもちゃんが虹コンとでんぱに触れてる歌詞があるのもめちゃくちゃ嬉しかった。
 今までの思い出を大事にして、少しずつ前に進んでいくっていう決意表明みたいな歌詞が本当に大好き。
 それはそれとして、歌枠で虹コンとでんぱの曲歌ってくれる度にめちゃくちゃ大べそかいてしまうの、いい加減やめたい(無理)

 ねこに踏みつけられて何書こうと思ったか忘れちゃったけど、それからTwitterに3次元のねもちゃんの写真が投稿された時、VALISさんとのコラボステージでオリジンの姿でステージに立つねもちゃんの姿を見た時、まさかまた3次元のねもちゃんに会える日がこんなに早く来るなんて思わなくてめちゃくちゃ普通に泣いたし、なんならもう二度と3次元のねもちゃんには会えないかもって思ってたからめちゃくちゃたまげたもん。
 DSひなまつりの時も虹コンのみんなと、りとくんと写真撮ってるのも見てめちゃくちゃ泣いた。ステージのど真ん中で「静かにしてください」っていう根本凪、好きだと思った。
 やっぱり私は根本凪のゾンビなのかも知れないけど、最近は健康なゾンビなんだなって思ってるよ(健康なゾンビ?)

 コロナ前、行こうと思ってチケット取ったライブが中止になって、結局どの現場にも行けないまま、会えないままにねもちゃんを見送ってしまって、心底後悔してたけど今はほぼ毎日ペースで会えるようになった。 
 ほぼ月イチくらいのペースでねもちゃんの歌枠もあるし、時々マシュマロとか投げたりもするし、スパチャも少量ながら投げるようになった。
 あんなに悩んでたゾンビはなんだったんだろう?って今はわりと笑い話に出来るけど、去年の今頃の私は本当にずっとしんどいなと思ってたから教えてあげたいね。現状を(倒置法)

  持病があって推しや周りのオタクに迷惑をかけるんじゃないかと怯えてなかなか現場に行けなかったけど、ねもちゃんに会えないまま見送った時、会いたいと思った時会いに行かなきゃダメだと痛感した私は、虹コンの推しに会うことができたし、一緒に写真も撮って短い時間だったけどお喋りもできた。1歩を踏み出す勇気をくれてありがとう。

 3次元2次元、あんまり関係ないんだなって、今は思います。根本凪根本凪だから
 それに、愛に国境も性別も関係ないってなんかの歌で言ってたし!(おや?)
 
 ねもちゃんの今後の人生、寂しいなとか辛いなとかそういう日が一日でも減って、楽しかったとか少しでも明日生きることが楽しくなるような日が一日でも多くあるといいな。

 ねもちゃん、歌い続けることを決めてくれてありがとう。根本凪で居ることを選んでくれてありがとう。
 これからまた、新しい扉の前に立つことがあったら、その先に待ってる人達のことを思い浮かべてね。きっと、大丈夫。
 

 私はあなたの歌が、根本凪という人が大好き。
 それが2次元だろうと、3次元だろうと構わず、あなたのことが大好きです。


 Vシンガーデビュー、スピカリウム1周年おめでとう。
 あなたにとって今日が良い日になりますように。